稲田屋の歴史 | 稲田屋

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稲田屋の歴史

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稲田屋とは

稲田屋とは 鳥取県の酒蔵稲田本店のアンテナショップとしてスタートしました。“自慢の酒「稲田姫」を東京でお客様に直接飲んでいただきたい”という想いで誕生したお店です。

稲田屋本店画像1

INATA HONTEN

蔵元 稲田本店

1673年(延宝元年)創業といわれ、長年に亘り山陰地方の地酒文化を支え続けてきた蔵元です。
代表銘柄に『稲田姫』があります。出雲神話で有名な八岐大蛇(やまたのおろち)退治に登場する人物で、素戔嗚命(すさのおのみこと)と共に地元・八重垣神社に祀られています。稲田姫が子々孫々まで繁栄したことに願いを込めて醸し続けています。もうひとつの代表銘柄に地元では馴染みがある『水雷』があります。このお酒は1907年(明治40年)、後の大正天皇の山陰行幸に随行された東郷平八郎元帥が蔵に立ち寄られた折りに命名され、以降『水雷』は蔵の主要銘柄となります。1931年(昭和6年)冷やして飲む「冷用酒」として日本初の願いを込め『トップ水雷』と改名しました。
稲田蔵は鳥取県にありながら、冷用酒の開発以外にも革新的な挑戦をしてきました。1892年(明治25年)には“ビール工場”を建設しています。現存する大手ビール会社の創成期と同じ頃のことでした。(隣家から出火しビール工場が全焼、ビール製造は中止)また1967年(昭和42年)には、全国に先駆けて“精米歩合50%の純米酒”を醸造しています。鳥取県の田舎の酒蔵ですが、いまなお《温故知新》の精神で常に進化しながら《おいしく上質な酒造り》を続けています。(蔵元の詳しい歴史はこちら)

INATAYA HONTEN

稲田屋本店

稲田屋本店画像2

1995年(平成7年)、稲田蔵は稲田家から梅原家へと歴史が引継がれます。明治の初期から戦前にかけ酒蔵を運営していた梅原家の長男は、酒造りの想いを捨てられずにいました。後継者難に直面していた稲田家から「歴史を繋いで欲しい」との願いを託され、引き受けたのでした。
跡を継いだ梅原正顕(稲田本店 前社長)は”蔵元の歴史を途絶えさせまい”と精力的に東京でも営業をしたのですが、自力で販売する事には限界がありました。上京するたび、都内に在住する2人の弟が相談にのっていました。上の弟は蕎麦屋専門の卸業を展開しており、下の弟は旧財閥系の会社に勤めるサラリーマン。何度も何度も酒を酌み交わしながら「自慢のお酒を、飲んで知っていただけさえすれば…」という話を続けているうちに『エンドユーザーを捕まえる』というメーカーの鉄則に辿りつきます。
1997年(平成9年)12月、兄弟で出資し、飲食部門として株式会社 稲田屋本店を設立しました。これが稲田屋の歴史の始まり、稲田本店との新たな挑戦の始まりです。

稲田屋の経営は、サラリーマンであった梅原俊治(現在の稲田屋顧問)が引き受け、目標10店舗を目指しました。
30年以上サラリーマンとして 同僚や得意先の方々と様々な飲食店を利用し経験していく中で“軽い接待にも使え、プライベートでも利用できる店が少ない”と感じていました。当時の日本酒離れは厳しく 《単独蔵元のラインナップだけで集客を続けること》は大きな挑戦でしたが、「単に銘柄の比較だけではなく、ひとつの蔵でも酒米、精米歩合、そして四季を通じた熟成具合で色々な風味の酒ができることを知っていただくこと」と「一般の居酒屋よりも少しアッパーで、明るい店内、尚且つ利便性が高く、美味しい酒と料理が揃う店であれば選ばれるに違いない」と考えました。
地酒と共に提供する料理は、ランチタイムは健康を意識して《蕎麦を中心としたランチ》を提供する事にし、手広く日本蕎麦専門の取扱いをしている兄を通じて“蕎麦屋”のノウハウを学びました。ディナータイムは地酒を美味しく飲んでいただく為に《地元食材》を積極的に使用し、美味しい料理を提供する事にし、料理人を集めました。日本酒の知識があるスタッフの育成が必要であると考え、接客にあたるスタッフには《唎酒師》の資格取得を目指しました。
食材の仕入先、調理する料理人、日本酒の管理と提案ができる人材… 沢山の出会いと助力を得ながら準備が進みました。そんな折、ご縁があり“日本橋プラザビル”に出店できることが決まりました。会社設立から1年後の1998年(平成10年)12月、稲田屋1号店「稲田屋日本橋店」がオープンしました。

地元 山陰地方(鳥取・島根)の豊富な山海の幸。料理人が手掛ける和食。上質な日本酒と利酒師―。狙い通り、居酒屋チェーン店で物足りなさを感じはじめていたサラリーマン層を中心に、稲田屋日本橋店にご来店いただけました。駅からのアクセスも重視しながら、新宿・品川・大手町と居酒屋『四季と酒の蔵 稲田屋』の展開が続きました。お客様からの多様なご要望に応える形で、蔵元近く(鳥取県米子市内)に『酒処 稲田屋』、蕎麦を中心に扱う『蕎麦酒肴 稲田屋』『蕎麦と酒 いなたや』、本格的な接待にも最適な『個室処 稲田屋はなれ』が誕生しました。

店舗が増え、唎酒師の育成以外に《蔵元での酒造り研修》もはじめました。水や米、素材へのこだわり“心で醸す酒造り”に直接に触れることで、スタッフの中で、山陰食材と日本酒に対する意識も高くなりました。そして日本酒と料理の組み合わせを課題にした“料理コンテスト”や、鳥取県食材を使用した“フェア”なども開催するようになっていきました。

出退店を繰り返しながら、創業当時の目標「10店舗」まで あと2店舗と迫った頃、大きな転機が来ました。鳥取県のアンテナショップが新たに《岡山県と合同》で規模を拡大したアンテナショップに生まれ変わる、その運営会社を公募するというのです。
稲田屋を通じて、生産者のみなさんと出会い 情熱とこだわりを知る機会が沢山ありました。 “地元の良い物を、より多くの人に知らせたい”という想いから挑戦したいと考えた時、ふたたびご縁に恵まれて、アンテナショップ運営会社として立候補することが出来ました。稲田屋での功績などが評価され、稲田屋本店が運営会社に選ばれました。
2014年(平成26年)9月、新橋駅前に鳥取県・岡山県の2県合同アンテナショップ『とっとり・おかやま新橋館』と『ビストロカフェ ももてなし家』がオープンしました。稲田屋史上初の、小売業態と、洋食業態への挑戦。いずれも簡単なことではありませんでしたが、本当に沢山のご縁とご協力をいただき、無事にオープンすることが出来ました。ここで飲食店部門10店舗という目標をようやく達成することが出来ました。日本橋店オープンより15年目のことでした。
(※2019年3月をもって小売部門は他社に引継ぐことになりましたが、2階にある「ももてなし家」は引続き稲田屋本店の洋食業態として運営します。)

現在の稲田屋社長は2015年(平成27年)8月に後継者の梅原正樹にバトンタッチされました。
酒匠の資格を持つ新社長は若い感性で、酒と蕎麦で長年の歴史を持つグループ会社と協力し、稲田屋のこれからを担っていく覚悟でおります。
お客様とのご縁、お取引先様とのご縁、そして多くの働くスタッフとのご縁―。ご縁を大切に、また皆さまからのご意見を宝物とすることで、今後も稲田屋らしく進化を遂げながら、いつまでも愛され続ける酒処を目指してまいります。

《会社沿革》
平成9年12月(株)稲田本店の飲食部門として(株)稲田屋本店を設立
平成10年12月東京都中央区日本橋に「稲田屋日本橋店」オープン
平成12年12月東京都新宿区西新宿に「稲田屋新宿西口店」オープン
平成13年11月鳥取県米子市朝日町に「稲田屋米子店」オープン
平成14年2月東京都練馬区石神井町に「稲田屋石神井公園店」オープン
平成15年7月東京都港区港南に「稲田屋品川店」オープン
平成21年5月東京都千代田区大手町に「稲田屋大手町店」オープン
平成23年11月東京都中央区八重洲に「稲田屋はなれ 八重洲店」オープン
平成24年5月東京都千代田区丸の内に「いなたやパレスビル店」オープン
平成26年9月東京都港区新橋に「ビストロカフェももてなし家」オープン
平成26年11月東京都千代田区霞が関に「稲田屋はなれ 霞が関店」オープン